「ねえ、ここって……本当に家なの?」
暗がりの中、少女がふと漏らした一言に、読者はすでに足を踏み入れてしまっている。常識の扉を閉ざし、幻想の狭間へと誘うその作品こそが、江口夏実の『出禁のモグラ』だ。
彼女の代表作『鬼灯の冷徹』で培われた独自のユーモアと狂気は、本作でさらに鋭く深化している。舞台となるのは“ワンダーランド化”した犬飼家。もはや「家庭」という温もりの象徴であるべき空間が、歪んだ愛情と依存によって怪物的な迷宮と化す。その異様な光景を前に、読者は否応なしに心を掴まれるのだ。
物語の中心にいるのは、フユミの家族。彼らは一見すると普通の家庭に見える。しかし、次第に浮かび上がるのは、互いに依存し、傷つけ合いながらも離れられない、歪んだ絆である。その姿は恐ろしくもあり、同時にどこか現実の家庭問題を投影したかのような生々しさを帯びている。
ここに立ち向かうのが、モグラたち。そして彼らを導くのが銭だ。銭はこのワンダーランドで、幻術という唯一の武器を操る存在だが、最後の切り札を使う時が訪れる。彼が魅せる「最後の幻術」とは何か。そしてそれがフユミ一家にどのような影響を及ぼすのか。作品は緊迫した空気と幻想的な描写で、読者を一気にクライマックスへと引きずり込む。
江口夏実といえば、地獄を舞台にした『鬼灯の冷徹』や、怪異を扱った『出禁のモグラ』で知られるが、本作は特に「幻想」と「現実」の境界線を見事に揺さぶってくる。読者は「これはただのフィクションだ」と安心しようとするのに、描かれる家族の歪みや人間の弱さは妙にリアルで、自分自身や周囲の人間関係を思わず照らし合わせてしまうのだ。
特筆すべきは、幻想世界の描写の豊かさである。廊下がねじれ、扉の先に見知らぬ風景が広がり、家の中でありながら現実の物理法則が通用しない。まるで「不思議の国のアリス」の悪夢版のようでありながら、日本的な湿度を帯びた空気が流れている。そこに現れるモグラたちの存在は、ユーモラスでありつつも不気味さを孕んでおり、江口作品ならではの奇妙な魅力を放っている。
さらに、銭のキャラクター性も見逃せない。彼はただの力ある存在ではなく、人間の心の闇を見抜き、それを利用し、時に救済へと導く者だ。そのスタンスはヒーロー的でもあり、同時にトリックスター的でもある。だからこそ、彼の繰り出す「幻術」には物語全体を揺さぶる力が宿っている。
本作を読むとき、ぜひ注目してほしいのは「呪い」というテーマだ。少女霊が創り上げた呪い、それは単なる怪異現象ではなく、人の心が生み出す負のエネルギーの象徴である。家族の中で積み重なった小さな不満や依存が、やがて怪物的な形をとり、人々を苦しめる。江口夏実はその過程をユーモラスかつホラー的に描き出し、読者に深い問いを投げかける。
この「ワンダーランド編」の完結は、ひとつの物語の終わりでありながら、新たな視点の始まりでもある。幻想の住人たちはどこへ行くのか。呪いの幕引きは何を意味するのか。その答えを知るためには、読者自身がこの奇妙で美しい物語を最後まで追体験しなければならない。
『出禁のモグラ』は、単なる怪奇漫画ではない。家族、依存、呪い、幻想――多層的なテーマを内包しながらも、読者を最後まで楽しませるエンターテインメントであり続ける。その複雑さとユーモアの絶妙なバランスこそが、江口夏実作品の真骨頂なのだ。
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もしあなたが現実と幻想の境界を漂うような物語を求めているなら、『出禁のモグラ』はまさにうってつけの一冊だ。読後には不思議な余韻と共に、「家族とは何か」「呪いとは何か」という問いが、静かに胸に残るだろう。